Studioちくりん

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「天気の子」を初日上映で酷評した僕が、半月経って本作が「名作」だったことに気付いた話

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天気の子
「天気の子」を見に行ったんですよ。
で、僕は最初この映画をめっちゃ酷評して、絶賛している人の気持ちが全くわからなかった。
けど、絶賛している人たちの話を聞くうちに、僕なりにこの作品の魅力を発見して、
 
実は「名作」だったんじゃないか?
 
と、180度評価が変わった珍体験をしたので、それを書き殴ります。
ちなみにネタバレを非常に含みますので、ご了承ください。
超長いけど、よかったら。

 

本作、僕は初日の朝イチ上映で見に行った。
僕は「君の名は」が上映されていたとき、ちょっと苦い思い出があって。
実は最初そこまで人気出ると思ってなくて、時間できたら見に行こと思ってただけど。
あれよあれよと大ヒットになって、2,3週間くらいしたら、
ネットを歩けばネタバレに当たるみたいな状態になってしまい、
「は?隕石?爆破?時間差トリック?口噛み酒?」みたいなのを全て把握してしまった上で、
見るハメになったので、今回ばかりはすぐに見に行こうと思ったんだよね。
 
で。
小雨の降る初日上映の朝9時から、TOHOシネマズ上野にて鑑賞。
さすがに席はほぼ満員。そして鑑賞した結果……
 
 
 

○とにかく酷評しかしてなかった鑑賞直後。

 
 
 
陽菜を救うために、東京が雨によって沈んでしまう。
でも、陽菜は救えたというエンドは良いと思った。
ただ、とにかく、その結末に至るまでの経緯の雑さが気になって仕方ない。
 
・なぜ陽菜が人柱として選ばれたのか。あの神社は何なのか。
 
・帆高の家出の理由とはなんだったのか。大層な理由があるのかと思ったら、とくに何も無し。
 
・この大筋の話に「拳銃」という仰々しいアイテムは本当に必要あったのか?
  この扱いによって、語られるべき物語の背景を語る時間がなかったのではないか?
 
・あまつさえ、あんだけ親身になってくれた須賀さんに対してまで拳銃向けるのはどうなのか。
 
・保護対象逃がしちゃうとか、簡単にタックルされすぎとか、警察無能すぎない?
 
・山手線をマラソンして廃ビルに行くって、それ一番目立つやつだし、誰か止めろよ……
 
・雨で東京沈んでるけど、遷都とかしてないのね。
 しかも、あの世界で天気予報が存在する意味とは……
 
とにかくツッコミどころと、無駄なシーン、それから説明されてない背景や肩透かし感だらけの連続に僕は頭を抱えつつ鑑賞。おまけに気になったのが……
 
 あまりにも出てくる企業ロゴ、ロゴ、ロゴ……
 
 
しかも、あまつさえ事前にコラボCMを打ちすぎていて、カップヌードルのシーンなんか出てきたときに、「うわー、これ本編のシーンだったのかよ……」と思って覚める始末。
(帆高の「2分が美味いの、知らないの?」ってやつ)
 
という散々な感想のまま帰ったわけです。
 
もちろん全く評価してなかったわけじゃないです。
まず映像は確実に素晴らしい。東京の風景は、あまりに精巧すぎて本当に現実感を伴って目に飛び込んでくるし、打ち上げ花火の日を快晴にするシーンなんかは迫力に圧倒されて。
 
しかも音楽も「君の名は。」に引き続き、素晴らしい。
僕はこれだけ脚本の穴に対して、頭を抱えて見ていたものの、クライマックスで「グランドエスケープ」が流れたシーンは、そんなことすっかり忘れて思わず息を呑んでしまったほど。
 
キャラクターの個性や声優も素晴らしい。
天真爛漫な陽菜ちゃんとマセた弟の2人は可愛く、演技に対してネットで不安視する声が続出していた本田翼の演じるお姉さんも、バカっぽい演技と相まって映画のなかでの癒やしになっていると思う。
 
小栗旬の演じる須賀さんもいいよね。
調子よくて、飄々とした大人なんだけど、本当は仕事に苦しんでたり、娘に会うための努力してたり、色々思い悩んでたり。
自分の年齢ゆえかなあ。
僕はずっと彼に感情移入しながら見てたので、拳銃向けられたときの悲しさたるや……
 
(※後述するけど、僕が一番感情移入してしまったのが須賀さんだったことが、
  結果的にこの作品を酷評した一番の理由なのだと、後で気がつく)
 
あと凄いな!と思ったのは、散々語られてはいるものの、
今年の長過ぎる梅雨に合わせたかのように、この映画のなかでも異常気象による雨続き。
この日の初回上映も朝は曇り空で小雨だったんですよ。
 
それがなんと映画館を出たら、まさかの快晴。
これは思わず、「えっ!?」っていう声が出るほど驚きつつ、ちょっと悲しい気分になったり。
 
っていう感じで、僕のなかでの「天気の子」の評価は、「映像と音楽は素晴らしいが、お話は微妙な作品」という程度のものだったのよ。
 
ここ数日前までは。
 
 
 

○絶賛する人の言葉から気付いた「天気の子」の魅力

 
ということで、僕は「天気の子」の評価を聞かれたときに微妙だったと言い続けていたのだけど、思いのほか周りで、この作品を絶賛している人が多く。
 
なぜだ……?
と思いつつ、色んな人のコメントを聞きながらも、なかなか言語化できなかったんだよね。
 
そんな悶々としていたあと、僕がこの作品が「実はこれ名作だったんじゃないか?」と思ったきっかけ。それはこの作品を絶賛していた、映画好きの友人との会話からでした。
 
友「ちくりんさん、『天気の子』微妙だって言ってましたけど、あれ僕はすっごい好きですよ。『君の名は。』より良かったです」
 
ち「マジで? だってお話、ツッコミどころだらけだし、俺すげえ気になったけどな……」
 
友「んー、でも僕はあの『全世界を不幸にしても1人の女の子を救う』ってテーマはめちゃくちゃ好きですし、あのドラマのなかで、お話ってそこまで気になりました?」
 
友人は、このストーリーの運び方が気にならなかった……?
そんな馬鹿な、と思ってもう少し突っ込んで聞いてみたところ、彼からはこんな答えが帰ってきた。
 
友「なるほど。わかりました。ちくりんさんが、この映画を微妙だって思っているのは、きっとこの作品のテーマが刺さらなかったからですよ」
 
ち「えー、でも俺この『世界か少女か』っていう結末は納得できるし。でも、『人柱』になった背景が謎だったり、主人公の家出の理由がとくに存在しなかったり、拳銃のシーンとか必要なのかな?とか思ったんだけどね」
 
友「そこです。『そんなこと』を気にしてる時点で、ちくりんさんのなかではこのドラマが刺さってないんですよ。
 
『1人の少年が世界・社会を敵に回しても、不幸になる運命の女の子を救う』
 
この熱さ、ロマンに没入できてたら、拳銃とか物語の背景とか。ハッキリ言って、そんなことは『どうでもいいこと』なんです」
 
 
 
物語に没入できてたら、矛盾も違和感も全て些事。
 
これをズバっと言われたときに、僕のなかで「この作品の魅力」が一気に腑に落ちたんだよね!
 
あ、なるほど。そうかもしれない、と。
 
確かに、この映画のテーマは非常に単純明快だと思うんだよ。
「全ての人間を敵に回して、世界を破壊してでも、ただ1人の女の子を救う」
 
ずっと語られていたことなんだけど、「晴れ」っていうのは「みんなにとっての幸せ」なんだよね。
 
つまり、「晴れ」っていうのは世界や社会、多くの人間が望むものなんだよね。いわば常識。
 
でも「晴れ」を生むためには、陽菜ちゃんが力を使わなきゃいけないし、最終的には消えなきゃいけない。1人の少女が不幸になるわけだ。
 
それを覆すにはどうしたらいいかというと、もう世界が不幸になる選択をするしかない。
1人の少女を幸せにするために、世界が嫌がる「雨」を降らせる。
つまりは世界を敵に回すしかない。自分たちが狂うしかない。
 
誰もが望まない結末を選んでも、陽菜を救う。
 
あの夏の日、あの空の上で、私たちは世界の形を決定的に変えてしまった
 
このフレーズが前面に出ているように、この映画のテーマは唯一にして、非常にストレートだ。
これが、この映画の全てであり、全てのシーンがこのためだけに描かれてるんだよね。
 
このテーマが「響くか響かないか」。
ここが、この作品を評価を真っ二つに割っている原因だと思った。
 

・「拳銃」も「山手線マラソン」も「数々の犯罪行為」も全部必要なシーンだった

 
で、思い返してみると、「違和感の有無」は置いておいて、どのシーンも
このテーマと、結末のエモさを際立たせるために存在してるんだってことに気付いたんだよね。
 
要らないと思ってた「拳銃」も、このテーマから逆算すると必要なギミックなんだよ。
だって「拳銃」って所持してるだけで犯罪じゃないですか。危ないじゃないですか。
少なくとも日本でこれを許可なく持ってるやつは「反社会」ですよ。
 
それを手にとって、陽菜を救うために立ちはだかる大人たち全員に銃を向ける。
これって、すっごいわかりやすい「社会・世界への反逆」なんだよね。
僕が最初思った「少年にとっての武器の象徴や覚悟」ではないんだね。
もう「拳銃」っていう存在そのものが、いま日本においては社会の敵だから。
もっと大きく「世界への敵意」の象徴だったんだよね。
(しかも、この拳銃を帆高が使おうとしてるのは、徹底して陽菜を守るためだけ使ってたはず)
 
だから警察にも銃を向けるし、ハッと気付いたけど須賀さんに銃を向けたのって、めちゃくちゃ重要な意味を持ってるんですよ。
「世界を敵にまわすかどうか」ってのに、意地悪な大人も、優しい大人も関係ないんですよね。
全て含めて世界だから。帆高を説得しようとしてた彼は、常識的な世界の一部だから。
優しくしてくれた人に銃を向ける。
これこそが、世界を敵に回すということなんだっていうシーンなんですよね。
 
って考えると、あれだけ呆れながら見ていた山手線マラソンも、すごい重要なシーン。
あれは単にビジュアルだけで選んだシーンじゃなかったはず。
 
だって線路に入るのって、現代社会ではNGじゃないですか。
あんなことやったら、SNSで叩かれるの必至。社会の敵も同然に言われるよ。迷惑かけんなよって。
あの線路を走る行為は、「社会への反逆」の一つなわけなんだね。
だから、あれは線路を走らなきゃいけないんですよ。
 
ほか、数々の犯罪行為もしかり。「犯罪行為をする」ってのは、すべて「世界への反逆」なんだ。
やればやるほど、テーマとしての「世界を敵に回して、女の子を救う」ってのが際立つわけです。
決して最後の選択だけが、「2人が幸せになるために、みんなを不幸にした」わけじゃない。
 
これは帆高じゃなくて、陽菜がやったことだけど、歌舞伎町のトラック爆破も、誰か怪我したかもしれないし、トラックの所有者は激怒間違いなしですよ。
 
その迷惑をかけ続けた行為は、そのまま「世界を敵に回す」ということなんだよね。
それでも自分たちの幸せのために、2人はあがいたわけですよ。
そんな行為をしてでもなお、救いたいもののために奮闘する姿に心を打たれるんだよね。
 

・キャラクターの年齢も、きっと重要

 
そもそも、世界を敵に回すキャラの年齢が、全員16歳以下というのも超重要。
これが分別がつく大人。少なくとも最初に陽菜が偽っていた18歳(今はもう成人年齢)だったら、
余計なことを考えすぎて、2時間の映画のなかで世界を回すことはできないだろう。
「大人」としての登場人物である、須賀の反応がそれを表しているし、
帆高や陽菜が20歳に近ければ近いほど、「テーマ」に対しての違和感が発生する。
 
少女を救う、互いが幸せになるために全てを捨てる覚悟をするためには、キャラは無分別な子供じゃなければダメなんだ。
「40秒で支度しな!」と言われて、速攻で決断できる物語は、少年少女が主人公だからこそ理解できるんだ。
(そう考えると、山手線マラソンも「スタンド・バイ・ミー」みたいなもんだよね。たぶん)
 
そもそも、「帆高が親元が嫌で家出をした少年」ということも凄く重要な意味を持ってる。
彼はもともと社会に対して好意を抱いておらず、それに対して価値を見出してない。
だからこそ、東京という愛着の無い場所で見つけた、世界よりも価値のある陽菜を選択できた。
 
って考えると、帆高の「家出の理由」なんて超どうでもいい部分だったんだってのも腑に落ちた。
彼が、実家に馴染めなくて家出したっていう事実だけが重要なのであって、そこになにか理由を描いてもいいけど、あったところでさほど意味なんて無いなって思っただろう。
(むしろ余計なドラマを描く必要が出てきて邪魔になったかもしれない)
 
 

・驚くことに企業ロゴも重要なんだって思えた

 
で、いろいろ考えていくと、企業ロゴも重要だったんだろうなって気持ちになれたんだよね。
絶賛している人たちの声を聞くと、「東京がリアルに描かれていて、自分たちの住む街、存在する場所」と思えたと。
あの映画で描かれている東京はリアルで、全く見知らぬ場所じゃない。
よく知ってる世界なんだよね。
 
だからこそ、そんな世界をぶっ壊すことの重要性が理解できるわけだ。
 
これが名前もない街で、あんまり現実感の無い世界だったら、水没したところで「あー、水没しちゃったんだー」と思うだろう。
あれがリアルな東京だからこそ、ラストの水に沈んだ東京を見て「うわー、こいつら大変なことしちゃったわー」と強く感じる。
 
 
という以上のことを考えると。
 
この映画って雑味無く、この1点突破のテーマを伝えるためだけに作られてるんだなと。
「お話としての違和感」よりも「テーマとして違和感が無いか」だけに集中しているんだなと。
 
だから、陽菜が人柱になった背景とか、神社の謎も、家出の理由と同じくどうでもいいんですよ。
それって帆高と陽菜の関係性の外にあることだから。
あってもいいけど、あったところで重要ではないし、各々が脳内で補完すれば良い話。
 
ラストシーンまでそう。
帆高が相変わらず抜けてて、陽菜ちゃんは祈っているものの、2人は幸せになる予感しかない。
感想を見ると、これに対して「大変なことをしたのに、大した代償が無い」「気が抜けすぎている」という批判が存在する。
これもわかる。たしかにその方が自然だよね。
こんだけ大変なことしたんだから申し訳なさや、代償があってもいいだろうと思うはずでしょう。
 
でも、それだと後味悪いじゃないですか。
 
この映画の結末は、この2人の雰囲気が明るく、爽やかであることも、最後まで2人の関係に没入できるためのギミックの1つなんだよね。
だって彼らは、世界をぶっ壊して、最大の目的である「幸せ」を勝ち取ったんだから。 
 
もしそこに後ろめたさがあったら。
何か少しでも嫌な思いをしていたら。
 
彼らは世界に勝っていない。
「彼らだけ」が幸せであることで完全勝利を収めているのだ。
ここに一点でも影があったら感動していた人は、一気に覚めたと思う。
「よかった」という気持ちが曇って、これでよかったのか?という疑問が生まれる。
 
 この結末は、物語に没入した人たちにとって、そんな疑問を抱かせない。
だからこそ「僕たちは大丈夫」なんだ。
あれは帆高による、世界に対する勝利宣言なんだ。
「一片の曇りもない幸せ」だからこそ、最後まで2人の関係だけに集中して終われるのだ。  
 

・本作はやはり「君の名は。」を超えている 

 
だから、ここで初めてわかった。
この作品は人によって、「君の名は。」を超える感動を与えると。
 
 
あの夏の日、あの空の上で、私たちは世界の形を決定的に変えてしまった
 
このフレーズが全てを表していて、非常にストレートだ。
その分だけ言いたいことはわかりやすい。
酷評しながら、僕も「テーマはわかる」とまず呟いたほど。
 そう考えると、「君の名は。」以上に感動したという人の言葉も色々腑に落ちる。
 
「入れ替わってる!?」
 
があれは印象的だったけど、その本質は決して「入れ替わり」じゃない。
あれは離れ離れの男女が、「結び」によって再び巡り合うという、世界の構造に比べて普遍的な恋愛が本質だったはず。
「縁」はともかく、「入れ替わり」という特異性はいうほど感動のドラマに影響を与えてない。
(ただ、これを強調したのがダメだというわけではなく、プロモーション的にここを強調したのは当然ながら正解だったとも思う。キャッチコピーは別にあったけどね)
 
ただ、今回は「特異性」も含めて、「僕たちは世界を変えた」という言葉は、「君の名は。」以上に何倍もストレートに映画の本質を捉えていると思うのよ。
これも物語に没入することに一役買っているんじゃないかな。
 

・「天気の子」に低評価をつけるのは『須賀圭太』であり、絶賛している人は『森嶋帆高』である

 
まあ、最終的に須賀さんも世界を壊す方に乗ったので、厳密には正しくないかも。
 
最初に戻ると、僕はこの映画を最初に見たときに酷評した。
脚本は不必要なものだらけ、帆高の行動は理解できない、微妙なストーリー。
 
それも当然。なぜなら僕は須賀さんに感情移入をしていた。
つまりは、この作品を見るときの立ち位置は「世界の側」に立っていたんだ。
陽菜を救うために、手段を選ばず暴れ続ける帆高の気持ちはわからない。
 
これを理解できるのは、たぶん「なんとしても陽菜ちゃんを救ってほしい」と思えた人だけだ。
そこまで没頭できたら初めて、彼の周りに存在する全てのものが、映画にとって必要なもので、
余計なものは描かれていなくて、「世界の敵」になれる。
 
結局のところ、僕は「晴れ」を望む人間なので、これは響かなかった。
そうなるとチグハグな脚本、不透明すぎる設定を前にして、「中身なんて無い」ように見える。
 
でも、この映画の魂は確かに存在してて、それが見えるのは「雨」を望んだ人間だけなんだろう。
 
一度これを覚めて見てしまった人は、
「いや、でも、こんな疑問だらけの脚本で、そこまで没入して見られるのか?」
と疑問に思うことも多いかもしれない。
 
正直、僕も疑問に思った。
ただ、すぐに没入して見せる力がこの映画には、確かにあるわとも思った。
 
なぜなら新海映画には圧倒的な美術力とビジュアル演出。
そして、RADWINPSの曲があるからだ。
 
強引だろうがなんだろうが、全て勢いで、テーマとロマンを脳内に叩き込むだけの力がここにある。
序盤に書いたけど、僕も実際「グランドエスケープ」が流れたときは感動した。
あんだけ文句を付けてたのに感動していた。ましてや、これに没入していた人たるや。
 
 
 
すっごい長文になってしまったが、これが「天気の子」の評価が大きく別れている理由なんだろうなという、僕の考えでした。
 
酷評する人は、今後も増えるだろう。
ただ、間違いなくこれは人によっては最高の映画になっているし、評価の声も増え続けるだろう。
テーマを徹底的に突き詰めた純度100%の物語。
これが理解できてから、この作品は紛れもなく誰かの心に残り続ける「名作」なんだなという評価に変更しました。
 
まあ、とはいえ、これって別に「天気の子」に限った話ではないんだわね。
 
「ご都合主義が混じったラブコメ」にも、名作は当然存在するよ。
「主人公が、どんどん強くなる『なろう作品』」にも、名作は当然存在するよ。
 
でも、それにハマれなくて違和感を指摘する人はいるのよ。
「こんな金持ちの美少女5つ子の同級生の家庭教師バイトなんて存在するわけない」ってのもそうだし、「無職引きこもりの主人公が異世界いった途端に、積極的に勉強に励むわけがない」とか。
あくまで例だけど。
 
でも、俺はそういう違和感を飲み込んでも、それは質の高い名作だと思うし、
「そんな指摘は、どうでもいいわ!」って思って楽しめる人はいっぱいいるわけです。
 
いま思い返すと、新海監督がリリース前に発言していた「賛否両論になると思う」というのはこういうことなのだろうね。
最初は結末のことだけを言ってるのだろうと思ったけど、これはテーマを飲み込めるかどうかという部分で、評価が完全に別れるということもわかって言ったんじゃないかと思った。
 
だから正直、すげえ賭けに出たなと思う。
「君の名は」の後の作品なだけあって、老若男女、どんな人でも見るだろう。
とくに僕みたいに、「さあ新海誠が何を出してくるか楽しみだわ……」と物語以外のことまで色々考えて読み解こうとするやつも、いっぱいいるだろうよ。
(そして、そういう人ほど物語に没入できなくて、「世界」の側に立ってしまうんではないかなー。単なる勘だけど)
 
それで出てきたのがこれよ。
絶対に万人受けしない。これに感動できる人は絞られるだろう。
ただ、「届けたいターゲット」をしっかり絞った上で、そこだけに届くように徹底的にシーンが選びこまれてるんだよね。
 
それが商業的に正しくて、一般的な映画の質として高いか低いかはともかく。
しっかりとターゲットを見据えて届ける「エンタメ」としての質は非常に高いと思った。
 
ということで、僕はそういう視点から、もう一度「天気の子」を見に行ってもいいなと思った話。

 

<追記1>

それでもやっぱり、カップヌードルのCMだけは、未だにモヤモヤがぬぐえない。
あのCM、せめて公開後にやってほしかった……あそこはどうあれ覚めそう。
 
あと、「君の名は。」のキャラを出してしまい、彼らが移り住んだ東京が水没したのは悲しさを覚えたが、それも含めて世界を壊すことの重大さを表していたのかもしれない。
単なるサービスと思っていたけど、あれもそう考えると意味はあった。
ただ、「君の名は。」が好きな人間としては、未だに心情としては複雑。
 
 

<追記2>

完全な余談なんだけど、たぶん俺、10年くらい前だったら、絶賛してた気がするんだよね。
僕が大好きだったKey作品だって、完全に同じだったと思うんですよ。
 
穴はあるし、ツッコミを入れる人間もいるかもしれない。
だけど、世界よりも女の子が救いたい、幸せになってほしい!と思って、没入して、
それだけのパワーがビジュアルと音楽とテキストにあったわけじゃないですか。
 
だから僕は美鈴ちんがゴールしたときに泣いてしまったわけで、
「リトルバスターズ」の鈴ルートで、逃げ続ける理樹を応援したはずなんだよねー。
 
なんで、こうなったかなー。やっぱ年齢かなー。